【対談】Withコロナ期のスポーツの役割② 生き抜く力を育む上でスポーツは大事 鈴木スポーツ庁長官×茂木健一郎(脳科学者)

鈴木長官と茂木先生

With コロナ・After コロナに向けたスポーツ界の在り方について、鈴木大地スポーツ庁長官と各界のオピニオンリーダーが語り合うシリーズ企画記事「Withコロナ期のスポーツの役割」。今回は脳科学者の茂木健一郎先生(プロフィールはこちら)をお招きしました。スポーツ愛好家であり、フルマラソンにも出場するなど自らもスポーツを楽しまれており、脳の活性化とスポーツとの関係などについて、鈴木長官と語り合っていただきました。

走っていると脳がメンテナンスモードに入る

鈴木

茂木先生は運動・スポーツにとても興味を持っていて、東京マラソンに出場するほど走るのが好きだとお聞きしています。

茂木

スポーツは全然得意じゃないですけど、そんな僕でも走ることによって、いろんな健康上のメリットを実感しています。今日は、オリンピック・パラリンピックを頂点として、われわれが日常的にするスポーツまで、裾野の広いスポーツ文化についてお話ししたいですね。

鈴木

今はコロナ禍ではありますが、茂木先生はふだんどのような運動・スポーツをされていますか。

茂木

大体1日10km走るのが基本です。

鈴木

脳科学者の茂木先生が、1日10km走られるっていうのは、どうしてなのでしょうか。

茂木

長官もよくご存じだと思うのですが、定期的な運動をすると健康上のベネフィットがあるってことは、よく知られています。脳科学の立場からすると、やっぱり今、問題になっている認知症とか、MCIって呼ばれる認知症の前段階のような状況のときに運動を行うと、脳を若々しく保つ効果があるというエビデンスがでてきています。
走っている間など活動的に思考を行わないときに無意識に脳が活性化する「デフォルト・モード・ネットワーク」。このネットワークの活動がどうも、脳の中に蓄積された記憶を整理したり、ストレスとか感情の歪みみたいなものを解き放ってくれる意味があるんじゃないかと言われています。脳がメンテナンスモードに入っている感じです。

鈴木

あ、それでなのか。私も走っている時はアイデアが湧いてきたり、頭を整理するにはとても重要な時間だと思ってたんです。

鈴木長官と茂木先生による対談の様子1

マラソンのメダリストに勝った脳科学者

鈴木長官と茂木先生による対談の様子2

茂木

長官はいまでも泳いでいるのですか。

鈴木

昨年から月1回ほど泳ぐようになりました。現役時代とは違い、速く泳ぐというよりは、一定の時間や距離を仲間と泳ぐことに重きを置いています。記録を計測するようなレベルではありません。もし、全力で泳いだら、それこそ足がつったりとか、「あっち痛い、こっち痛い」みたいになります(笑)。

茂木

これ僕、面白くって。女子マラソンのオリンピックメダリストの方が、この前、「久しぶりにフルマラソン走ったのよ」っておっしゃったんです。で、タイムを聞いたら、僕の東京マラソンの記録より遅いんですよ。僕は4時間40分ぐらいなんですけど(笑)。

鈴木

オリンピックメダリストに勝っちゃった脳科学者(笑)。

茂木

鈴木長官やオリンピアンでさえそうなんだから、一般の方々が「いや、私なんかやっても、記録とか恥ずかしいし」とかではないんですよ。その思い込みのようなものが、一般の方々がスポーツをやる上で、ちょっと障害になっているのかもしれません。

鈴木

まさにそれ、今、われわれはスポーツのハードルを下げるっていうことをやってまして(笑)。私も、いろんな大会に参加しています。でも水泳大会ではなく陸上で10kmランなどです。「やっぱりアスリートだし、相当速く走るんでしょ」って言われるんですが、私の記録は1時間2分3秒。

茂木

いや、でも立派、立派。

鈴木

恥ずかしいぐらい遅いですが、それでいいと思っているんです。「速くなくてはいけない、強くなくてはいけない、上手くなくてはいけない」それ以外の人はスポーツをしてはいけないわけではないんです。遅くても、強くなくても、上手くなくても、スポーツをしてよいのです。スポーツは「楽しめばいいんだよ」 って発信するために出場しています。

脳が「無理だ」と体にリミッターをかけている

茂木

トップアスリートのお話も聞かせてください。私は鈴木長官が金メダルを獲得した88年のオリンピック・ソウル大会のことをよく覚えています。予選では差をつけられて金メダルは難しいと思われていたのに、決勝では作戦を変えて大逆転。日本人の競泳としては16年ぶりの金メダル獲得でしたが、予選と決勝の間は何をしていたのですか。

鈴木

ずっとイメージトレーニングをしていました。「思考が現実化する」とか言われますが、結局、私がイメージしたレース展開が、決勝では全くそのまま現実に起きたんです。

茂木

なるほど。それまでの日本の競泳は決勝に残るのがやっとだとか、そういうイメージができてしまって、無意識のうちに脳の方で「無理だ」と体にリミッターをかけていたのかもしれません。それが長官の金メダルから日本競泳陣が活躍するようになりましたね。無理だと思っていることが、実はできるかもしれないとわかったからだと思います。

スポーツは、脳に生き抜く力を育む

鈴木長官と茂木先生による対談の様子3

鈴木

われわれもスポーツ実施率(週1回以上運動・スポーツをする成人の割合)の目標を65%と掲げ、啓発活動をしています。今、健康寿命と平均寿命の差が10年ぐらいあるので、ただスポーツ実施率を上げるだけではなく、国民の医療費高騰に少しでも歯止めを掛けるなど、スポーツ界から社会に何か寄与しようと思っています。まずは「みんながスポーツをする社会を創る」ことが第一の目標です。

茂木

僕の周りにいる人に聞くと、スポーツをしていない人って、スポーツをすることのハードルが高いらしいんです。スポーツをしている自分が想像できないらしいです。アスリートであった長官は、これをどうすればいいと思われますか。

鈴木

本日の趣旨はそこにありまして、先生のような脳科学者が、「実はスポーツをしています」というお話をお聞きしたいです。実は私、茂木先生のお母さんにお話を聞いたことがあるんです。

茂木

ちょっと待ってください。今、激しく動揺しています(笑)。

鈴木

前職でお会いする機会がありまして、どうしたら、こんな「知」の巨人が育つのか興味津々で。「息子さん(茂木先生)はどういう子ども時代を送られたのですか」と尋ねると、「うちの息子は小さい頃から、とにかく山登りをよくしていましたね」とお答えになりました。
私も山登りには興味があって、仕事柄するようになりました。山登りって、足元に石ころが、ごろごろ、ごろごろしているじゃないですか。次の足をどこに、どんな向きで着けるか、常に「空間認知能力」が鍛えられているのかなと思って。茂木先生はそういうことを子どものときからされていたので、脳が発達したのかなと勝手に仮説を立ててみました。

茂木

僕は小学生のときの通知表は、国語、算数、理科、社会は、全部ずっと5段階評価の5だったんですけど。これ恥ずかしい話ですが、体育はいつも3なんですよ。僕は本当に運動音痴で、器械体操とかもできないし、100m走もよーいドンすると、大体6人中4位とか、そんな感じなんです。だから、本当にスポーツ劣等生っていうか。そんな僕が、ずっと走っているんですよ。

鈴木

いやいや、いまは脳科学者であり、マラソンランナー。

茂木

生涯教育において、子どもたちの教育においても、スポーツはすごく大事な意味があります。僕はイギリスに留学していましたが、イギリスでのスポーツは教育の重要な一部分でした。今、おっしゃった「空間認知能力」ですが、ラグビーでいえば、ボールを受け取って次にどこに投げるかとか、そういう瞬時の判断を積み重ねることが、脳に生き抜く力を育みます。いわゆるペーパーテストの学力ではなく、生き抜く力を育む上でスポーツは大事だということを、イギリス人は重視していました。

鈴木

なるほど。

茂木

今度イギリスで紙幣にもなる、今のコンピューターの全てのモデルをつくったアラン・チューリングは、マラソンランナーとして有名で、やたらと走っていたんです。いわゆる「学力」と「体を動かす」ことは、どうやら関係があるのではないかと、経験則上も言えます。小脳の運動制御に使われる脳の回路っていうのは、思考、物を考えるときにも使われることが、最近分かってきています。日本の社会の中では、いわゆる勉強ができる子と、運動神経がいい子は違うと思われていますが、絶対そうじゃないです。

鈴木

子どもの時は、「勉学」も「スポーツ」も当たり前のようにやれるような環境がいいですよね。見ていると、水泳(スイミングクラブ)ではちょうど小学校5年生ぐらいに、どんどん辞めてっちゃうんです。なぜかっていうと、「4泳法、泳げるようになったし、もうそろそろ勉強に」と、スイミングクラブを辞めて塾に行ってしまう子が多いようです。ですから、スポーツも続けて、そして勉強も頑張っていく、この「ほどほど感」がバランス感覚を持って、いい大人に育っていくことにつながるのかな、なんて勝手に思いました。

日本でもスポーツと勉強を両立させて育っていく文化を

鈴木長官と茂木先生による対談の様子4

茂木

長官が米国のハーバード大学の水泳部で客員コーチをされていたときはどうでしたか。

鈴木

ハーバード大学はご存じのとおり、高校でオール5みたいな生徒が行くんですけど、聞いたら、それだけじゃ入学できないって言うんです。成績はオール5で、「バイオリンの全米1位」とか、「水泳の州大会のチャンピオン」とか。学力とプラスアルファ、何ができるのかっていうところが勝負らしくって。いろいろな人材が切磋琢磨することで、いい化学反応があるのでしょう。
ハーバード大学の水泳部で指導していたときの話ですが、朝練習に遅刻してきた学生に理由を聞くと「朝の3時までレポートを書いていて」と言うんです。それ言われちゃうと「遅刻しやがって」とは言えなくなります(笑)。勉強も、スポーツもバランスよく。水泳だって週に何十時間も練習していますから。

茂木

そうなんですか。

鈴木

若いときからバランスよく、体を動かしたり、勉強することが、世界で活躍する人材が育つ条件なんだろうなと思いました。

茂木

僕は外国の方とお話ししていると、教育に対する考え方の違いを感じます。テニスのトッププレーヤーなど世界中を転戦しなくちゃいけないようなジュニア選手とか、宿題や勉強の厳しい通信制の学校に通いながら、ハーバード大学とかイェール大学とか優秀な大学に入学していきます。
長官がおっしゃったように、日本の場合、小学校4~5年生ぐらいになるとスポーツをやめて塾通いみたいな、スポーツと勉強が両立しないイメージがあるんだけど。日本でも、スポーツと勉強を両立させて人間として育っていくっていう文化ができるといいなって思います。

鈴木

そうですね。「デュアルキャリア」という概念スタイルをスポーツ庁も推進しているのですが、そういうシステムというか、文化が醸成できれば、例えば、東京大学を目指すっていうような人たちが、子どものときから「スポーツもやろうかな」って思ってくれていいんですけどね。

体を動かす「楽しさ」「喜び」を知ってほしい

鈴木長官と茂木先生による対談の様子5

鈴木

先ほどの茂木先生の小学生時代のお話。これは、われわれスポーツ界、体育界も、大いに反省しています。速いとか、強いとか、うまいとか、技術の習得だけに、体育の授業があるのではなく、体を動かす「楽しさ」「喜び」を、みんなに知ってもらうため、授業の重要さを再認識して指導要領を変えました。人と比べることも時として重要ですけど、大事なのは、昨日の自分を超えるとか、先週の自分よりもうまくなるとか、人それぞれです。

茂木

そうですよね。長官は世界をご覧になってこられて日本のスポーツ文化の課題はどこでしょう。

鈴木

先ほど茂木先生が言われたような、「スポーツは苦しかった」とか、「体育の成績は(5段階評価で)3だった」とかです。もっと楽しくスポーツを体感して、「もっと、これからもやっていこう」という、そういう気持ちになってもらうことが、まず大事。それが原点じゃないですか。そこから選手になりたい人は、多少苦しいことを我慢しながらも、その上の喜びをもって頑張っていく。同時に、選手にならなかった人は、体を動かすことでアイデアが浮かぶとか、ストレス発散になるとか、体を動かす喜びを味わうなど、それぞれの目的でスポーツを楽しんでほしいです。

茂木

いまコロナ禍でスポーツ界も、いろいろと課題があるようですが。

鈴木

新型コロナウイルス感染症の影響により、スポーツ界だけじゃなくて、多種多様な業界が大変な状況です。おそらく後の歴史からすると、この時代は、歴史の大きな転換点になるんじゃないかなと思います。そういう中で、スポーツ界が、どうあるべきかとか、いろいろ考えてはいますけども。このコロナ禍を機に、いい方向に、一挙に変えられるチャンスでもあるのかなと思っています。

茂木

コロナ禍で心配しているのが運動不足の方が多いことです。これは大変な問題ですよね。

鈴木

スポーツをしないと、知らず知らずのうちにストレスとか溜まっていきますね。2017年にアメリカでベストセラーになった、ナイキ創業者のフィル・ナイトさんの自伝を読みましたが、そこには、日常やビジネスでストレスが溜まってどうしようもない時は、彼もひたすら10マイルぐらい走るって書いてありました。メンタルの話もそうですし、日常的にスポーツをすることが、太り過ぎだとか、体力低下とか、それだけじゃない、いろんな効果があるっていうのを、いろんなとこで示してくれています。コロナ禍だからこそ、ストレスもたまるでしょうし、どんどんスポーツをしていただききたいです。

茂木

Withコロナの時代だからこそ、僕はスポーツが大事だと思うんです。この状況だからこそ、いろいろ工夫して3つの密にならないようにして、一般の方々は、本当に体を動かし続けることが大事です。昨年のラグビーの盛り上がりの後、今年はサッカーも野球も、その他の競技も思うように大会や試合ができず大変ですから、また、みんなでスポーツを応援したいなって本当に思います。

鈴木

いや、本当ですね。スポーツ界では、昨年のラグビーが大成功に終わりまして、日本中がスポーツの良さを理解してくれました。そして迎えた2020年、さらに一挙に加速度をつけるはずだったんですが、こういうことになりました。でも、コロナ禍で学ぶことは多く、今だからどうするべきかを考える、いい機会をいただいたのではないかと前向きに考えています。

茂木

長官、本当に頑張ってください。

鈴木

本日はありがとうございました。

【プロフィール】
茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
脳科学者。理学博士。
東京大学大学院物理学専攻課程修了後、理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究。文藝評論、美術評論などにも取り組み、キャスターをはじめ、さまざまなフィールドで活動している。『脳と仮想』『ひらめき脳』『生命と偶有性』など著書多数。

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