Sport in Life 〜コンディショニングに関する研究成果報告会(第2回)を開催〜
(写真)左より金岡恒治教授、室伏長官、玉城絵美代表取締役、柳原大教授、島袋公史さん
2024年3月、室伏長官および研究受託者から『Sport in Life推進プロジェクト「スポーツ実施率の向上に向けた総合研究事業」コンディショニングに関する研究の成果報告会』が行われました。報告会は2回に分かれ、第1回の成果報告に続き、第2回では、テーマ①「スランプの要因と解決策に関する調査研究」、テーマ②「運動器機能低下に対する地域における効果的な運動療法のあり方に関する研究」の2件の調査研究について成果報告が行われました。前記事に引き続き、今回は第2回の報告会についてご紹介します。
コンディショニングに関する研究成果報告
スポーツを通じて、性別、年齢、障害の有無等に関わらず多様な人々の心身の健康を高める「ライフパフォーマンスの向上」に向け、スポーツ庁では、Sport in Life推進プロジェクトとして「コンディショニングに関する研究」に取り組んでいます。今回、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会で得られた科学的知見等の一般への普及と、新たな視点でのスポーツの価値向上を目的とした調査研究が行われ、その成果が報告されました。
第2回で成果報告が行われたのが下記の2つのテーマです。
- テーマ①「スランプの要因と解決策に関する調査研究」
- 受託:H2L株式会社
報告者:H2L株式会社 玉城絵美(たまき・えみ)代表取締役 / 東京大学大学院総合文化研究科 柳原大(やなぎはら・だい)教授 / H2L株式会社 島袋公史(しまぶくろ・さとし)
- テーマ②「運動器機能低下に対する地域における効果的な運動療法のあり方に関する研究」
- 受託:早稲田大学
報告者:早稲田大学スポーツ科学学術院 金岡恒治(かねおか・こうじ)教授
スランプの要因とその解決策は何か?
テーマ①「スランプの要因と解決策に関する調査研究」
H2L株式会社は東京大学と共同で「スランプの要因と解決策に関する調査研究」を行いました。アスリートや、ピアニストなどの表現者において、練習しているにもかかわらずパフォーマンスが不調な状態に陥ることがあります。この状態を“スランプ”と呼びます。多くの人を悩ませるスランプの要因や、スランプとパフォーマンス低下の関連については、未だ不明な点が多い状況です。今回、スランプの実態とその発現のメカニズム、およびその解決策についての調査研究が行われました。
(写真)H2L株式会社 玉城絵美代表取締役
スランプの実態とその発現のメカニズムを解明するために、下記3つの分野から調査研究が行われました。
(a)脳・神経系
(b)運動系
(c)心理系
(a)脳・神経系
脳・神経系分野では、スランプの要因の1つとして考えられているストレスに着目し、ストレスに関連するホルモンである副腎皮質刺激ホルモン放出因子(CRF)が、運動の学習および記憶に関わる小脳皮質に及ぼす影響を調査しました。マウスの小脳にCRFを、短期間(単回あるいは3日間)および長期間(約2-4週間)投与し、マウスの運動パフォーマンスおよび運動の学習能力を調査したところ、以下の結果が得られました。
①短期間での低濃度のCRF投与は、運動のパフォーマンスと学習能力を高める場合がある。
→短期の、かつ、適度なストレスは、スランプを脱却させる可能性が示唆された。ユーストレスとして運動のパフォーマンスの向上に関わる神経機構について、今後より詳細なメカニズムの解明が期待される。
②長期間のCRF投与が運動のパフォーマンスを低減させることは認められなかった。
→長期的なストレスとスランプの起因等の関連性に関わるメカニズムについては、1つの伝達物質やその受容体の作用だけでなく、複合的な機序についてより詳細に調べる必要があると考えられる。
(写真)東京大学 柳原大教授
(b)運動系
スランプの原因の1つである過剰学習は、動作が定型化された状態を引き起こし、対応性を低下させる可能性があります。そのため、スランプ状態にある人は、ランダム性の高いトレーニングに対応できない可能性があると考えられます。そこで、運動系分野では、「スランプ状態にある人は、ランダム性の高いトレーニングに対応できない」と仮説を立てて、調査が行われました。本調査では、H2L株式会社が開発した筋変位センサを用いて、トレーニング中の対応性を計測しました。
“ランダム性”とは、動きにおける規則性の有無です。
●ランダム性が低いトレーニング
グリップトレーニング、規則的な手押し相撲(特定リズム指定)など
●ランダム性が高いトレーニング
新聞紙トレーニング(室伏長官が考案した新聞紙を手で丸めるトレーニング)、自由対戦による手押し相撲など
スランプの有無によるエクササイズ中の対応性を調査したところ、「スランプ時は、ランダム性の高いトレーニングに対応できない」ということが明らかになりました。
(c)心理系
スランプの原因となるストレスについては、心理系の観点からも調査が行われました。「ランダムなトレーニングへの対応性とメンタル負荷量に関係性がある」という仮説を立てて、ランダム性の高いトレーニングや低いトレーニングへの対応性とメンタル負荷量との関連が分析されました。
その結果、心電図との相関は見られなかったものの、アンケートとは相関が見られました。 不安や抑うつが強いと、トレーニング全般の対応が困難であり、 特に、抑うつが強いと、ランダム性の高いトレーニングの対応が困難な傾向にあることがわかりました。
(発表資料から一部抜粋)
(発表資料から一部抜粋)
ランダム性の高いトレーニングはスランプを脱却させる可能性がある
(写真)H2L株式会社 島袋公史さん
さらに、(a)脳・神経系、(b)運動系、(c)心理系の知見を融合させ、「ランダム性の高いトレーニングがスランプ脱却に効果がある」という仮説を立てて、ランダム性の高いトレーニングの有効性が分析されました。具体的には、スランプ状態の人とスランプ状態にない人を対象に 、ランダム性の高いトレーニングである「ランダムな手押し相撲」の練習を継続してもらい、スポーツ動作のパフォーマンスの変化が分析されました。
(発表資料から一部抜粋)
(発表資料から一部抜粋)
本調査では以下のような結果が得られました。
《結果》
ランダム性が高いトレーニングを一定期間実施すると、
- トレーニングやスポーツ動作への対応性が高まり、スランプ状態にある人のスポーツパフォーマンスが安定する
- メンタル負荷が減少する
■本調査研究のまとめ(玉城絵美代表取締役コメント一部抜粋要約)
各分野で行った研究では
(a)脳神経系では短期的なストレスはスランプを脱却させる可能性が示唆されたこと
(b)運動系ではスランプがあるとランダム性の高いトレーニングに対応できなくなること
(c)心理系ではスランプにはメンタル負荷が関係すること
が明らかになりました。
(a)〜(c)の3つの知見を集約して実施した研究では、ランダム性が高いトレーニングがスランプを脱却させ、スポーツパフォーマンスを安定させる可能性が高いことが示唆されました。
これらの研究結果を踏まえ、玉城絵美代表取締役からは、「スポーツトレーニングにおいて、スランプを事前に推定して適切な対応を提示することでパフォーマンスの低下を予防できる可能性があります。また、スポーツ分野以外にも工場などの労災を事前に推定する応用研究や産業活用に活かすことも考えられます。たとえば工場において、同一作業の合間にランダム性の高いトレーニングを実施すれば、予測不可能な事態にもすぐに作業員が対応できるようになる可能性があります。」と総括されました。
■本調査結果を受けての室伏長官のコメント(一部抜粋要約)
「アスリートにとって、急な雨などの気象条件の変化や心理的な条件を、いかに克服して対応できるようにするかということは、スポーツパフォーマンスを高めることに関係します。スランプ時は、ランダム性の高いトレーニングに対応できないということで、スランプを事前に察知できれば、早く対処もできると思いますので、この研究成果はたいへん興味深い内容でした。また、本研究の結果は、同じ作業が続く労働者についても発生しうるケガなど労災を防止することにも繋がる可能性があることから、我々の目指す“ライフパフォーマンスの向上”にも繋げていきたいと思います。」
スポーツを通じた健康な地域づくり
テーマ②「運動器機能低下に対する地域における効果的な運動療法のあり方に関する研究」
早稲田大学の金岡恒治教授が調査研究を行ったのは「運動器機能低下に対する地域における効果的な運動療法のあり方に関する研究」というテーマです。デポルターレでも以前にご紹介した北海道東川町での「運動器障害の一次予防介入の介入検証」はこの調査研究の中で進めたものです。
《参考記事》
室伏長官が東川町で成果報告!スポーツを通じた健康な地域づくり
https://sports.go.jp/tag/policy/post-139.html
Sport in Life 〜目的を持った運動・スポーツでライフパフォーマンスの向上を!〜
https://sports.go.jp/tag/life/sport-in-life-1.html
(写真)早稲田大学 金岡恒治教授
金岡教授は、日本代表の水泳選手のメディカルサポートを行っている中で、多くの選手が腰痛を抱えながら競技をしているという問題を解決すべく、水泳連盟と共に腰痛予防プロジェクトを立ち上げました。このプロジェクトでは、障害の予防を目的に、日々のコンディショニングにモーターコントロールエクササイズと呼ばれる、主に体幹の筋に刺激を入れて、姿勢を制御する機能を高めるエクササイズを取り入れました。その結果、腰痛を抱えた選手の数が減り、選手のパフォーマンス向上にも効果があったことが示されました。このようなトップアスリートに対して行った“ハイパフォーマンス”で得られた知見を、一般の方の“ライフパフォーマンス”向上に活かせるのかを検証したのが「運動器障害の一次予防介入の介入検証」となります。
この検証では、北海道東川町の町民76名を対象に、モーターコントロールを主とした週1回のエクササイズを3か月にわたって指導し、その効果が検証されました。
(発表資料から一部抜粋)
労働生産性を示す一つの指標であるプレゼンティーズムを評価(病気やケガがない時に発揮できる自分の仕事の出来を100%として過去4週間の自身の仕事を評価してください、と質問。数値が高いほどプレゼンティーズムによる影響を受けていないことを示す)では、介入前が78.3%であったのに対して、介入後には85%に高まりました。
(発表資料から一部抜粋)
腰痛に痛みを認めた人は、介入前は22名であったのに対して介入後は15名になりました。腰痛の程度を点数で評価(NRS:10が最も痛みが強い状態で0が全く痛くないとして、現在の痛みがどの程度が質問する評価。数値が低いほど痛みが低いことを示す)したところ、介入前は平均3.6であったのに対して、介入後は平均1.6であり、痛みが改善したことを認めました。
(発表資料から一部抜粋)
(発表資料から一部抜粋)
(発表資料から一部抜粋)
3カ月間の介入では、柔軟性については大きな変化がありませんでしたが、骨盤を自動で動かすことができる能力(モビリティ)については改善を認めました。動作がどのぐらい綺麗にできるかを評価したモーターコントロール評価では、介入前が16.5点であったのに対して20.5点に改善を認めました。
室伏長官が考案した道具を使用しない運動器をセルフでチェックすることができる「KOJI AWARENESS™」でも、50点満点中、介入前が32.8点であったのに対して、介入後は38.5点と有意に改善しました。
■本研究のまとめ(金岡教授コメント一部抜粋要約)
「3カ月間の介入によって、体を動かす能力が高まったと考えています。エクササイズによって体幹筋の使い方が改善され、自分で体を動かすことによって骨盤の可動域が広がったと考察します。ヒューマンモビリティの改善が腰痛軽減に繋がったと考えます」。
(発表資料から一部抜粋)
「こちらの図(上図)は縦軸にパフォーマンス、横軸を心身機能としたものです。機能が高まれば、パフォーマンスは高まることを示しています。図の緑のラインは日常生活レベルを表わし、発揮できるパフォーマンスがラインの下にいってしまうと医学的な治療や介護が必要な状態になります。日常生活レベル以上にパフォーマンスを発揮できる人は、心身の機能を高めてライフパフォーマンスを向上させ、障害・疾病の予防や健康寿命の延長に繋げることになります。今回東川町で行われたモーターコントロールを主としたエクササイズによって運動器の障害を改善できるというエビデンスが得られました。本検証の結果は、多くに自治体や企業に応用でき、日本、世界の方々のライフパフォーマンスを高める根拠になると思います」。
■調査結果を受けての室伏長官のコメント(一部抜粋要約)
「町単位で行った本検証の結果は、運動を行うことの有効性を示し、素晴らしい成果が得られたと思います。運動介入の継続率は88%と非常に高く、参加者の皆さんは効果を感じ、楽しんで参加していただいたのだと思います。体の外の機能を“運動器”と言いますが、運動器の健康が、階段の登り降りが楽になった、車をバックする時に首が回りやすくなったなど、生活の質の改善に繋がったという町民からのポジティブな感想も得られています。本研究の結果は、自らの体を自分でコントロールすることが大事なことだということを示しています。今後、各自治体にも東川町のような取組を進める一方、デジタル技術を利用した展開も検討したいと思います」。
まとめ
“コンディショニングに関する研究”の成果報告会では、新たな知見が示されました。このようなエビデンスは、多くの人がスポーツを通じた健康増進等といったスポーツの価値を享受できる社会の構築等に寄与することが期待されます。スポーツ庁では今後もスポーツ実施率の向上はもとより、スポーツによるライフパフォーマンスの向上に向け、本事業で得られた成果を周知啓発していきたいと思います。
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●本記事は以下の資料を参照しています
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